最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

1/22/2014

映画『無人地帯』劇場公開のお知らせ


2月1日より、当方の現時点での最新作である記録映画『無人地帯』がいよいよ、日本でも劇場公開となります。

完成上映は2012年のベルリン映画祭ですからもうそろそろ2年、撮影は2011年の4月5月でしたから、三年近く経ってやっと日本で、というのもずいぶん遅い話ですが、まずは東京公開、渋谷のユーロスペース(www.eurospace.co.jp)での上映となります。





上映時間、劇場の地図などはこちらの公式サイトをご覧下さい http://www.mujin-mirai.com/Theater.html

 
予告編:http://youtu.be/mXNtBrc6jlY





今後、各地方での劇場公開も続けて行きます。今後の展開についてや、自主上映などのお申し込みなど、配給のシグロ(www.cine.co.jp)にお問い合わせ頂ければ幸いです。






公開前のプレ・イベントとして、今週金曜日、24日には東京大学の「共存のための国際哲学研究センター」で上映と討論があります。

英語字幕版の上映、討論も英語となりますが、お差し支えなければぜひお越し下さい。




1月24日(金)18時~ 東京大学駒場キャンパス 18号館4階 コラボレーション・ルーム3
 
地図 http://www.u-tokyo.ac.jp/en/about/documents/Komaba_CampusMap_E.pdf 
詳細はこちら(英文) http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2014/01/film_screening_no_mans_zone/index_en.php





この映画は2011年の4月のいわゆる「警戒区域」発令直前の福島第一原発から20km圏内と、同時期の(報道にほとんど無視された)いわき市の沿岸部・津波被災地、そして「計画避難」直前の飯舘村で撮影したものです。

といって、いわゆる「震災・原発事故」ものの映画には必ずしもなってはいないかも知れません。


我々がそのような「違うもの」を意図したわけでは決してありませんが、ただこの三重の大災害を前に映画として出来うる限りちゃんとしたものを作ろうとするしかなく、映画である以上は「作品」であり、ただ事態をセンセーショナルに伝えればいい、誰かを糺弾すればそれで映画になるわけではないことは、言うまでもなかった、と思います。




また実際に事故が起ってしまえば今さら「原発反対」は、言うまでもないことであるでしょう。






2011年3月11日の大震災と大津波は「想定外」と言われています。福島第一原子力発電所が事故に陥ったのも「想定外」の事態とされています。

そして実際に確かに、我々の社会が「想定」していなかった、「想定」出来なかった事故であり天災であったのはその通りなのでしょうし、そうでなくとも原子力発電所の事故というのは、理論的な大筋までは把握できても実際問題として「分からない」ことだらけであり、そもそも事故を起こした原子炉がどうなっているのかもデータから推計されるだけで「見える」ものでもないし、もっとも危惧される直接被害である放射能汚染にしても「見えない」ものです。




この「人類の限界を超えている」「分からない」「見えない」事態にどう向き合えばいいのかがこの作品の根本の動機であり、なんらかの集団・組織ないし個人を責めたところで、ある意味で私たちの社会や文明の発展のあり方から必然的に起ってしまったこの事態の「解決策」が見えるわけもないでしょう。




一方で我々の仕事は「映画」を作ることであり、映画がもっとも適していることをふたつ挙げるなら、それは人間をその存在の複雑さも含めて見せること、そして映画が視覚メディアだからこそ「見えないもの」を「見せる」ことです。


ですから、あえて語弊を恐れずに言えば、その意味では震災と原発事故ほど「映画的」な主題はなかったのかも知れません。




僕たちが本当はなにを「見て」いたのかが、問われる現実でもあるからです。




津波で破壊された風景をセンセーショナルな映像に撮ることはある意味簡単でしょうが、そこで何が失われてしまったのかを「見せられない」ことからそれでも「見せる」のでなしに、「これは映画だ」ということは出来ないでしょう。


その「映画的であること」をこの作品で突き詰められたかどうかは、ご覧頂いて判断して頂く以外にないことですが、「無人」の場所、これから「無人」とされるかも知れない場所を撮りに行ったはずが、結果として僕たちが撮っていたのは、とても人間性の豊かな、敬愛すべき「人間」であり、その人たちの持つ人間本来の智慧でした。




この2年間、世界各地で映画祭や大学、それに一般の劇場公開で見せて来た作品ですが、そこでいちばん評価されたのも「人間」、福島浜通りと飯舘村の人々の飾らない、冷静で、巨大な困難を前にたおやかに知的であり続ける姿です。






もう一点挙げるなら、「警戒区域」発令が噂されるなか、20km圏内の検問を通るとき、福島県警の巡査さんに「どういう映画を撮りに行くのか」と訊ねられ、「この中の春はとても美しいのに、もう地元の人でも見られなくなってしまうかも知れない。だから映画に撮っておきたい」と咄嗟に答えました。巡査さんは地震で道路が壊れているところもあるし、事故に遭っても救援に行けないので運転だけは慎重に、とだけ注意して「頑張って下さい」と言って通してくれたのでした。実際、福島県の春はあまりに美しい。


この映画は、原発災害の記録である以上に、「日本の春」とその自然と生活、「命」の豊かさについての映画です。

ぜひご高覧賜われれば幸いです。

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