最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/17/2016

「北方領土」「日露平和条約」の同床異夢(にすらなっていない)


承前 (12/14/2016 北方領土は帰って来るのか 
        12/16/2016  山口県へのプーチン訪問と沖縄でのオスプレイ墜落の皮肉な偶然

いったいなにがなんだったのかよく分からないが、安倍さんがどんなに「個人的な信頼」を強みにしたつもりだろうが、経済援助つまりロシアに金をバラまくのと引き換えに北方領土が返って来ることはどうもないらしい、というのがこの度のプーチン露大統領訪日の顛末のように、なんとなくは思われている。

今年の5月から安倍が言い始め、9月には「手応えを感じ」たはずの「新しいアプローチ」とはなんだったのかの正体もよく分からないが、それでも中には、今度は「特別な制度」という言葉が飛び出したことに、安倍さんがなにか凄いことをやってのける実行力があるように期待した人もいるのかも知れない…のだが、その「特別な制度」がなんなのかも、なぜそれが必要なのかもよく分からないままでは、なんとなく「安倍さん凄い」と思う国民がいることに、安倍政権は一縷の期待をかけているのかも知れない。

二日目の東京での首脳会談のあとの日露共同記者会見でも、北海道新聞の質問に安倍はまともに答えず話をそらし、「特別な制度」がなんなのかはさっぱり分からなかったし、「旧島民の高齢化が進んでいる」ので「人道的な見地」を今回の交渉の大義名分に掲げているはずが、いつ頃までに実現できるのかの目処どころか、「私の任期中にぜひ」という程度の決意や目標くらいあっていいはずが、ただ逃げて誤摩化しただけだった。

夜のTVニュースにわざわざ生出演しても「前例がないから説明が難しい」と言い逃れをしただけだ。もちろんそんな「前例」があろうはずもない。そもそもそんな「制度」自体が、あり得ない話だからだ。

すでに前夜の山口県長門市での首脳会談後に、安倍が「特別な制度」を自慢げに発表したのとほぼ同時に、ロシア側では「ロシアの法律に基づく」と大統領補佐官が発表している。即座に両者のズレが鮮明化していたにも関わらず、二日目・東京での首脳会談でも、この認識の違いの擦り合わせは行われなかったようだ。

いやそもそも日本の世論では、この北方四島での経済活動や旧島民の訪問について、なにやらロシア側の問題で四島への日本人の立ち入りを禁じているから、「特別な制度」や交流拡大の交渉が必要なのだと思い込まれているが、これは大きな誤解だ。

ソ連時代ならともかく、今でも旧島民を含む日本人が北方四島に行くことも、日本企業が経済活動を行うことも、禁じているのは日本政府だ。ただ罰則は特にないし、罰することが出来る法的な根拠がない。国への忠誠、愛国心、政府に逆うなというような曖昧な理由だけだ。

日本政府が一方的な理屈で、ロシアの国内法に基づき日本国籍者がロシアのビザを受けて北方四島に行くことは、理屈の上ではロシアの施政権を認めることになるから行ってはいけない、としているだけなのだ。

確かにパスポートには、それが正式には他国政府に自国民の法的な保護を求める文書であることが明記されているから、日本人がその日本パスポートでビザの発給を受け北方四島に行けば、ロシアの法的管轄権を認めてその保護を求める格好になる。

もっとも、領土紛争がある土地について、公職にある者ならまだしも、このような理由で自国民の渡航・入域を認めない、という例を、他に聞いたことがない。

国境線の変更で元々自国だった土地が他国のものになったり元に戻ったり、というのは世界史上どこにでもある話だが、たとえば普仏戦争でドイツ領になったアルザス=ロレーヌ地方のフランス人は、第一次大戦まではドイツの支配下でそこに住み続けたし、ヴェルサイユ講和条約でこの二地方が再びフランス領になれば、今度はそこでの生活を保護する法はフランス国内法、警察権を持ち住民を保護し治安を維持する役割を担うのはフランスの官憲となった。「ドイツ領と認めないからフランス人はそこに住んではいけない」などとフランス政府は言わなかったし、そこにフランス人がいなくなればフランス政府は戦勝によりアルザスとロレーヌの返還をドイツに求める根拠を失っていただろう。

ナチス・ドイツの時代になりヒトラーがヨーロッパ各地に領土を拡張したのも、第二次大戦の勃発以前のその正当化のロジックは、「ドイツ人が住み続けているからドイツの土地だ」だった。

北方領土には1948年以降日本人はまったくいない。だから旧島民がより自由に行けるようにして、企業の経済活動で足場をつくる、そのための「特別な制度」という安倍のロジックは一見もっともらしく聴こえるが、これは二つの点で荒唐無稽だ。

まず第一に、当たり前の感情論として、将来的に日本領にするためにまず旧島民の日本人と今の島民のロシア人の交流を深め、旧島民がより自由に渡航できるようにして、日本企業の経済活動をやれば、ロシア人も日本の支配を受け入れてくれるはずだ、なんてことがあろうはずもない。

いったいどこの国に、「これからお宅の領土を乗っ取ります」とやってくる外国人や外国企業を歓迎して理解し、「だから仲良くしましょう」と真に受けて交流を深める国民なんてものがいるのだろうか?

「いずれ日本領にするために日本から来ました」などと言われては、ロシア人住民が旧島民ですら受け入れるわけもなく、一部にある旧島民への同情論や、ロシア人全般にある親日本感情なぞ一瞬にして消し飛ぶし、日本企業がそんな前提で進出すれば激しいボイコットが起こって当然だ。

これは日本外交がしばしば失敗する大きな原因で、安倍政権の場合は特に顕著なのだが、他国民、他国政府のいわば他人様の立場からは物事がどう見えるか、想像力どころか当然の論理的帰結すら考えられない日本側の独りよがりが、外交で通用するわけがない。

第二に、安倍が「前例のない」というのも当たり前で、そんな「特別な制度」は法の支配の基本論理にまったく矛盾し、そもそもあり得ないのだ。

安倍は主権、施政権といった国家の権利を為政者が気ままに権力を行使することだと勘違いしているようだが、主権、施政権というのはその土地の治安を守り住民の生命財産と生活を保護する責任を意味する。安倍のいう「日本の法的な立場」がいかなるものだろうが、その土地での法的な保護が担保されないところで生活をしようとするのは狂気の沙汰だし、ロシアの法に基づく保護のないところでの経済活動とは、つまりは日本企業がロシア人住民による略奪に遭おうとも文句が言えない、ということにすらなる。

安倍が時期的な目処を言わなかったのも当然だ。どう逆立ちしようがそんな「特別な制度」なぞあり得ない、「制度」というのならその制度を施行し運用に責任を持つのは誰なのか、それが保証されない「制度」は「制度」ではない。

「特別な制度」をどちらが言い出したのか不明だが、ロシアが提案したのならそれはあくまでロシア政府が運用の責任を負う経済特区とかそういうものでしかあり得ないし、ロシアが最大限妥協しても共同統治で、これとて双方が主権を認め合う、つまり日本もロシアの主権を一定部分で認める、ということにしかならない。

首脳のみの単独会談で安倍が言い出したことならば、プーチンは「なにを馬鹿なことを言っているのだ」と呆れつつ、安倍の言うことも考えてみるとその場で話を合わせただけだろう。そもそも安倍があり得ないことを言っているわけで理解する義理すらないのだし、今回の会談については、表面的だけでも話がまとまったように見せかけることがプーチンの戦略の一つでもあり、だから「特別な制度」とはロシアの法制下での新たな制度的枠組みの話だと誤解した風を装い続けつつ、誤解を解こうとはしなかっただけだろう。

それにしても今回の日露首脳会談や北方領土の問題を巡っては、こうした基本的な前提も含めて、あまりにも日本側の(政府が分かっていないはずはなく、分かっていながら世論操作で国民を騙している)誤解が多い。

今回の首脳間交渉の結果を「ロシアの食い逃げ」と酷評するのも誤解で、これは5月以降他ならぬ安倍政権自身がさんざんそのような誤解を振りまいて来たのに、日本での首脳会談が終わったとたんに「誤解だ」と安倍自身が言い出している。

日本が提案し、今後は約束するのは決して経済援助ではなく、安倍政権が発展途上国相手に繰り返して来たバラ撒き懐柔外交とは違う。あくまで相互の経済協力であり、ロシアは日本の企業などの経済活動にロシア領内での便宜をはかり、日本は日本企業によるロシア東部(シベリアやサハリンつまり旧樺太)への投資や進出を後押しする、というのが基本だ。

「協力」つまり日本企業にとってのビジネス・チャンスを日露双方で整備し、便宜を図ることであり、「食い逃げ」批判は当たらないし、儲けのチャンスがなければ日本企業は進出しないし、ロシア側からみればことシベリアなどロシア東部には、豊富な地下資源など、日本企業にとっての十分なメリットがあるはずだ。

現に安倍政権が提案している具体的な経済協力プロジェクトには、日本企業がすでに独自に立案して進めている事業も多数含まれている。 
領土問題を動かしたいからといってこんな見え透いた欺瞞の恩着せがましさは、相手国の不信を買いかねないのだが。

ソ連崩壊後の混乱期なら経済援助もロシアは確かに必要としていたが、時代が違う。

ウクライナ情勢やクリミア併合の経済制裁は大きなダメージではあっても、大統領がわざわざ援助をせびるか懇願しに来日するほど、今のロシアは落ちぶれていない。

いや今さら安倍が「誤解だ」と言ったところで、同じ誤解に基づいていたのが、安倍が今年の5月から「新しいアプローチ」で北方領土交渉を始めたきっかけ、最初の動機だったし、今に至るまで安倍自身が同じ誤解を引きずって、ロシア側の狙いを完全に読み違えているではないか。

プーチンが狙っているのは、現在の経済的な苦境の最大の、というかロシアからみればほとんど唯一の原因であるG7を中心とした対ロシア経済制裁を崩壊させるか、少なくとも日本を籠絡して対日本に関してはその制裁を事実上無効化することだ。

それが分かっているから日本でも外務省は他のG7諸国、とくにアメリカとの関係を理由に当初から安倍のこの計画に納得しておらず、だから安倍はこと夏の参院選以降は外務省を事実上蚊帳の外におき、世耕経済産業大臣にロシア担当大臣を兼任させ、経産省ペースでこの話を進めて来た。

その結果にっちもさっちも行かなくなったのも、世耕氏にも安倍に近い経産省官僚たちにも(たとえば経産省から出向している今井首席秘書官)、そして安倍首相自身にも、そもそも現在の世界情勢だけでなく、国際法や国際常識どころか、国家とその法の基本的役割についてさえ、基礎的な理解が欠如していたことが原因だと断じざるを得ない。

安倍首相も世耕大臣も経産省も、そもそもプーチンがこの話に乗って来た動機をまったく誤解して「北方領土を取り返して人気回復できる」と思い込んでこの計画に前のめりの極致で迷走を続け、プーチンは安倍の勘違いを百も承知で利用して来たのが、5月以降の日露交渉の全体構図だ。

ではそのプーチンの狙いはなんだったのか?

まずウクライナの内戦に肩入れして以降、G7が主導する欧米、つまりEU諸国とアメリカ、いわばロシアから見れば旧西側諸国との対立関係が深まっている国際的な孤立の打破だ。

今年のG7議長国である日本が自ら擦り寄って来たのだから、こんなにおいしい話はない。

いや「国際的な孤立」というのも、あまり正確ではない。

プーチンのロシアは一方で、かつての先進国であるアメリカやヨーロッパ以外の国々との関係は必ずしも悪くない。たとえば歴史的な怨恨もあったトルコとすら、今もシリア内戦ではアサド政権を支持するロシアに対しトルコがトルコ系住民の反政府勢力を支援していたり、昨年には撃墜事件で一時は対決しそうになったことすらうまく水に流して、連携を深めている。ソ連時代には戦争にまでなった中国との領土紛争も解決した。

またロシア国内では今も後進地域である東部、シベリアやサハリンは、一方で地下資源も豊富で有望なフロンティアでもあり、プーチン政権はこの地域の開発を大きな政策方針、成長戦略としている。そこに日本と中国の資本や技術が導入できることは大きなメリットだ。

だいたい今さらヨーロッパやアメリカとの経済関係にプーチンはさほど期待していないし、はっきり敵視しているのはアメリカと、EUの盟主となったドイツだ。

ちなみにEUのなかでの対ロ強硬派は先頃離脱が決まったイギリスなどで、ドイツのメルケル首相は当初から、人道主義と民主主義の基本理念で妥協はしないものの、話し合いと説得を重視して来た。 
だがそれでも、女だから気に入らないとでも言うのか、ドイツのEU内での覇権を警戒しているのか、プーチンのメルケルへの敵意は相当なものだ。



これにはロシア国民の歴史的な怨恨も無関係ではない。ドイツはなんといっても、第二次大戦でソ連(ロシア)を侵略し、2000万人ものロシア人を殺した国だし(そしてプーチンはその最大の被害を出したレニングラードの出身だ)、東西の和解と相互の尊重による世界平和を信念として冷戦を終わらせた最後のソ連書記長、ミハイル・ゴルバチョフですら、冷戦後にロシアはアメリカに一方的に敵視・差別され、裏切られ続けて来たと考えている(これは必ずしも偏向した、誤った歴史観ではない)。

今のロシアは、ヨーロッパがあまり好きではないし、アメリカには敵視されていると考えているし、プーチン政権が中国との連携を強めるなどアジアに重点を置きつつあることには、ロシアという国と民族自体がヨーロッパであると同時にアジアでもあり続けて来た歴史的なアイデンティティが深く関わっている。

帝政ロシアはこと実はドイツ人だったエカテリーナ女帝以降、目に見えてヨーロッパ化し、そのロマノフ朝を倒した旧ソ連もヨーロッパ起源のイデオロギーに基づく国家で、結局はロシア庶民を苦しめて崩壊したのが、18世紀以降のロシアの歴史だ。


アレクサンドル・ソクーロフ監督『エルミタージュ幻想』2002年

その過程では先述の独ソ戦の惨禍だけでなく、19世紀初頭のナポレオンの侵略もあった。帝政ロシアはナポレオンを撃退したことを誇りとしつつ、風俗や宮殿建築や文化ではそのナポレオンのフランスを模倣したのだから矛盾した話だが、ロシア革命の時代となると、皇帝一族や多くの貴族はフランス語を日常語としていて、ロシア語ができなかった者すら少なくなかったと言われる。

プーチンの標榜する新しいロシア・ナショナリズムは、そうしたヨーロッパ化した過去の支配層・エリート層に一派庶民層が培って来た歴史的な反発も背景に、アジア的なものにシフトする傾向を内包しているし、それはシベリア開発や中国、そして将来的には日本との連携を志向するものでもある。

こうした直接的な実利・国益の一方で、もうひとつプーチンが対日交渉ではっきり目標としている理念がある。これは本人もはっきり、正直に繰り返している通りだが、戦後71年間棚上げになったままの日露平和条約の締結だ。

ここがまた、日露間のボタンの掛け違いというか、安倍側の大きな誤解になっている。

北方領土にこだわる日本側からみると、1956年の日ソ共同宣言も「平和条約締結後に歯舞・色丹が返還される約束」という理解に偏りすぎて、平和条約イコール領土返還だと思い込みがちだが、ロシアが、特にプーチンが求めているのは、平和条約そのものなのだ。

平和条約はぜひとも結びたい、だがそれには色丹と歯舞の返還の約束が伴う。このジレンマをどう切り抜けるのかがプーチンの悩みどころで、そこを考え抜いて来ている点では、平和条約を領土返還の手段くらいにしか考えていない日本はとてもではないが太刀打ちができないのも当然だ。

また平和条約の締結こそが日露交渉の最大のテーマであることに気づいていない時点で、日本側が常にちぐはぐに陥り話が噛み合ない失敗を繰り返して来て、それがロシアの不信を買い続けているのも当然ではある。

プーチンが言っている「信頼関係が必要」とは、そういうことだ。

そんなことすら日本側にはまったく理解されていないこととなると、さすがのプーチンでもどこまで理解できているのかは怪しい。なぜ日本側がこんな当たり前のことすら思い当たらず、人口3000人程度の小さな、こういっては悪いが「僻地」の島が最優先されているのか、客観的には相当に理解不能な感情論へのこだわりでもある。

プーチンの言うように経済協力が信頼関係において不可欠だと考えるのは、別に「金よこせ」ではない。

日露の経済関係が密接になればなるほど、日本としてもロシアとの友好関係が日本企業が儲け続けるためには不可欠になり、結果たとえば安全保障リスクも下がる、という冷静な現実主義に基づく考えであり、平和条約もまたそのためにもぜひ締結したいのだ。

平和条約の締結こそが重要なのにはもう一点、防衛政策の問題があるし、今回の共同記者会見でロシア側の記者の質問に答える形で、プーチンは安倍の目の前で臆面もなくそれを滔々と述べた。

その発言の過激さの意味に安倍が気づかず、反論すらしなかったのは日本側の利害を考えると相当に不可解だ。

その日本からみればあまりにもの過激さに、テレビ中継の日本語同時通訳も大混乱に陥っていたが、だからといって要所要所で出て来た単語だけでも、それでも安倍がさっぱり理解できなかったとしたら、この人の外交センスの欠如は呆れるばかりだ。

プーチンは日露の平和条約締結問題と領土問題の歴史を説明するなかで、はっきりとアメリカを名指しで非難した上で、今後の平和条約締結に向けての信頼関係の醸成で最大の障害になるのが日米関係だ、とまで明言したのだ。

日本の日米安保条約に基づく義務は理解し尊重するとは言いつつも、その枠内でどれだけロシアの安全保障に日本が協力する気があるのかが問われる、とも問題提起をしている。

すでに初日の晩の首脳会談で、ウクライナ問題と経済制裁以降中断している日露のいわゆる2プラス2会議、つまり双方の防衛担当相と外務大臣が定期的に会合する安全保障連絡会議の復活を提案したことからも、今回のプーチンの最大の狙いが日米関係にくさびを打ち込むことであるのははっきりしていた。

日本のメディアの分析がいずれもここを見落としているのもおかしな話だが、共同会見でプーチンはこのポイントを激しくだめ押ししている。

北方領土問題の歴史についても、プーチンのアメリカ批判は激烈だった。日ソ共同宣言とそれに基づく平和条約締結交渉を、冷戦下にアメリカ政府が妨害したと明言したのだ(言い換えれば、そのアメリカの言いなりになる過去の日本政府は信頼されなかった、という意味でもある)。平和条約締結で色丹歯舞のみの返還で納得するのなら、アメリカは永久に沖縄を返還しない、と鳩山一郎政権に裏で圧力をかけたいわゆる「ダレスの恫喝」にも言及した。

また実際、56年の共同宣言から本格化するはずだった日ソ平和条約の構想は、最終的に1960年の日米安保条約の改訂で完全に頓挫しているし、領土問題でも四島一括を日本が国是としたのはこの時からで、だから共同宣言でも色丹と歯舞の返還にしか言及がないのだ。 
この辺りでも現在の日本国内の理解は史実に反しているし、政府が国民を騙してきたプロパガンダだったという誹りは逃れ得ない。

その上で、アメリカの敵意とその軍事覇権にロシアが防衛上は対抗せざるを得ない以上、択捉島・国後島はロシア艦隊の西太平洋への出口を確保するために手放せないこと、色丹島も日米安保に基づきそこに米軍基地が作られるようなことが絶対にないと日本が約束しない限りは返還は難しいとも明言した。

日米安保があるなかで日本はどうロシアが信頼できる国になるつもりなのか、と記者団とテレビ生中継の前で安倍に迫ったに等しい。

こうした論点は95分あったという首脳どうしの単独会談(通訳のみ同席)で出て来たはずだし、そもそもプーチンから見れば当たり前の前提で、安倍がなにも考慮していなかったとしたらそれだけでも「信頼関係」とはほど遠いことになる。

ペルーのリマでの前回の日露首脳会談や、訪日直前に読売新聞と日本テレビの合同インタビューでの発言、さらに同内容のビデオ・メッセージをロシア大統領府のウェブサイトに掲載するなど、ほとんどけんもほろろなまでに極めて厳しく安倍を恫喝するに等しかった態度からすると、プーチンは大遅刻こそしたとはいえいざ日本に来たとたんに、とても愛想がよくなった。日本や長門市へのリップサービスを繰り返し、安倍にも親しみを込めた態度だったのは、すべてこうした思惑から来るプーチンの演出だったと考えるべきだろう。

記者団の前で、日露両国のテレビで生中継され、当然アメリカ国務省やEU諸国の外交担当部局でもウォッチしている共同会見で、以上を滔々と述べたことからも、プーチンの今回の訪日の目的は、日米同盟にくさびを打ち込み、はっきりとアメリカを牽制することだった。

そこに日本がどれだけ乗って来るかまでは、さすがのプーチンにも読めていないだろう。その意味ではこれは大きな賭けの大芝居ではあった。

とはいえ安倍が理解して話に乗って来るならしめたものだし、これまで十数回も日露首脳会談を重ねて来た経験則からして、安倍が自分に向かって真っ向から反論なぞしない(そんな度胸がない)ことまでは読んでいたに違いないし、共同会見でも反論も制止もなく安倍が愛想笑いに終始するしかなかった(というか頭が真っ白になっている、という表情にもなっていた)だけでも、アメリカが日本に不信を抱くことは確実だ。恐らくはそこまで、プーチンは計算している。

そんなしたたかなプーチン相手に、北方領土の旧島民の手紙を読ませたり、会見でもその旧島民の複雑な思いを安易な感情論に言い換えてご都合主義に利用した安倍が、いかに見当違いの勘違いで場違いなことをやっていたか、結果として他ならぬその旧島民を自らの外交手腕の欠如、稚拙さ、自己保身で裏切ったことの無能の罪、身勝手の罪は大きい。

だいたい旧島民の故郷への思いなら、日本が北方四島の主権に形式的にこだわるあまり、渡航を禁じたり難しくして来たのは日本政府なのだ。単に墓参がしたい、故郷の島に泊まりたいだけならロシアがビザ発効要件を緩和して旧島民に優先的な配慮をすればいいだけだし、日本がアメリカの意向なぞ二の次に、平和条約を早く締結しておけばよかった。「ダレスの恫喝」のようなことがあっても、それを国際社会相手に公表してアメリカを非難していれば、解決ないし無効化できた。

択捉・国後はポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約で日本が領有を放棄した南千島(ロシア語では南クリル)列島の一部というのもプーチンが共同会見で明言したことだが、ソ連(ロシア)の公的な認識(ゆえに返還の対象ではなく、領土問題にならない)であるだけでなく、そもそも56年の共同宣言以前には日本側でもこの認識を共有していて、だから二島の返還しか求めていなかったのだ。

それが今では四島返還に凝り固まっているのは、「ダレスの恫喝」などを受けた対米配慮というか対米従属の方針転換で、それがあたかも日本の国是のように国民も騙して来た結果、収拾がつかなくなっているのが現状ではある。客観的にはアメリカの妨害が日露友好を阻んでいる(つまりは日本政府の二枚舌外交と対米追従が諸悪の根源)と言う指摘には、反論が難しい。

それにしても安倍はどうするつもりなのだろう?

今回の一連の事態で、アメリカは明らかに不信感を抱いているはずだ。今月末には、安倍はこんどはパールハーバーを訪問し、オバマとの日米首脳会談を控えている。

ここでも曖昧な愛想笑いで二枚舌を誤摩化し、報道に圧力をかけて国内向けに体面を取り繕うだけなのだろうか?

いや安倍は、オバマはどうせもう辞める、これからはトランプのアメリカなのだから、とタカをくくっているようにも見える。夜のニュースに生出演した際に対米関係を問われてはぐらかしたときも妙に余裕があり、そうしたニュアンスが垣間見えた。

だがトランプが選挙戦中にプーチンを偉大な指導者と持ち上げた言葉尻だけをとって、トランプとプーチンで米ロ蜜月が始まるかのように思い込んでいる安倍も日本のメディアも、あまりに考えが甘い。

トランプがプーチンを持ち上げたのは、オバマやクリントン夫妻をこき下ろす比較対象として都合が良かったからに過ぎない。

しかもトランプは人道主義や国際平和よりも自国の利益を最優先しロシアの強さを誇示するプーチンのやり方を褒めて「自分も同じやり方でアメリカ・ファーストを守る」と言ったのであって、アメリカもロシアも自国第一主義を掲げる指導者になるのなら、むしろこの両国が今後対立を深める可能性も十分にある。

プーチンは今回の訪日でターゲット、いわば「戦う相手」を日本ではなくアメリカに設定していて、だから日本との領土問題をあいまいに済ませ安倍への配慮まで見せたのも、オバマのアメリカ以上にトランプのアメリカを見据えた戦略だと考えておいた方が、「希望外交」の大きな勘違いでのちのちひどく後悔することがなくて済むだけ賢明だ。

だいたい、11月のペルーでのAPEC会合の際の首脳会談以降、プーチンが一時極めて厳しい態度を見せていたのも、別にトランプが次期米大統領に決まって米ロ関係の好転が見込まれるからなどではない。安倍がリマでけんもほろろの扱いを受けて記者団相手に半ばパニック状態で弱音を吐く状況にまで陥った原因は、その直前に安倍がNYに寄ってトランプに媚を売っていたから、その姑息な二枚舌の土下座媚び売り外交を「信頼に値しない」とやられただけである。

安倍の自称「地球儀を俯瞰する外交」では、トランプのアメリカになればプーチンとトランプが蜜月になり、そこに日本が取り入ることで「対中包囲網」ができるとでも考えているのかもしれない。だがかくも地球儀を俯瞰できていない、世界情勢がまったく理解できていない勘違いもない。

ロシアは既に述べた通り、そもそもアメリカをまったく信用していないし、歴史的にも信用できない。中国との関係も重視しているプーチンが狙っているのは、西太平洋・東アジアでのアメリカの覇権を低下させることで、その点では中国とも利害が一致している。

シリアやウクライナの情勢からすれば、日本がロシアべったりになることは国としての信義に反するのも確かだし、ことシリア問題でプーチンに擦り寄れば、日本にとって極めて重要な中近東・アラブ諸国の信頼を決定的に失うことにもつながる(ちなみに今回の首脳会談では、ロシア側は「シリアとウクライナについて両国首脳の見解が一致した」との主旨を一方的に報道させているが、日本側はこれもまったく否定できていない)。

だからプーチンの誘惑においそれと乗ることにはまったく賛成はできないが、しかし対アメリカについては、プーチンが提起して来たことを日本は真剣に考えた方がいい。日本の対米従属・対米追従外交の「戦後レジーム」は、もはや成立しないのだ。

そもそも白人至上主義の狂信者が重要な支持基盤で、国防長官にも白人至上主義者の「狂犬」が就任するようなトランプのアメリカに、安全保障や外交で依存するなどというのは、狂気の沙汰だ。まさか日本がそんなことすら理解できていないと知ったら、さすがのプーチンも呆れ、自分の読み違いに困惑するかも知れない。

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