最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

8/31/2017

加計学園スキャンダルの、図面流出で見えて来た意外な本質



加計学園スキャンダルの追及に、安倍晋三首相が見え透いた噓ばかり言っているのはその通りだ。

だが、だからこそ不思議なところがある。なにかを必死に隠そうと虚偽に虚構を重ね続けているはずが、悪びれた風や後ろめたさがまったくないのは、なぜなのだろう?

開き直りだとしても、さすがに意外なまでの堂々っぷりで、雰囲気だけに目が行って発言の中身は気にしない人だと、首相がなぜ「噓つき」と言われるのかさえ分からないかも知れない。

その問題の獣医学部の図面を、「今治市加計獣医学部問題を考える会」が公表した。補助金を不正に受け取るための建築費水増しの可能性があると指摘する根拠になるからだ。


なお加計学園によれば総工費は192億円で、その半額の96億は今治市と愛媛県の補助金で賄われるという。

図面で分かる床面積から計算すれば建築費の坪単価は150万となり、相場と言われる70〜80万円の倍額であることは以前から指摘されていた。実際に図面が出て来ると、指定された建材が安価なものばかりであるのも含め、建築家によれば100万は確実に切り、せいぜい80万前後だという。

これでも大目の試算かも知れない。建材の多くが最も廉価なものなら70万強がせいぜいではないか。

ちなみに坪単価が150万以上の建築といえば、たとえば黒川紀章設計の新国立美術館であるとか、一流ホテルなどがこのレベルの値段になる。変わったところでは問題の東京都・豊洲新市場が坪単価150万超の計算になり、いくらなんでも高過ぎることが問題になっている。

図面で明らかになったのは、まったくそんな超豪華建築ではないことだ。鉄骨作りの、むしろ安普請と言っていい設計だ。

なお市と県で合計96億といっても、愛媛県は出費するかどうかも決めておらず、県議会でも問題になっているなか、さらにスキャンダラスなことに、最大で96億を負担することになる今治市では、加計学園側が出して来た数字をまったく検証していないらしい。「考える会」が怒るのも当たり前だ。


今治市は人口6万強、瀬戸内工業地帯の要衝に位置し、高度成長期には港湾と軽工業、部品産業で栄えたものの、今ではタオルこそ有名なものの、産業の空洞化・斜陽化も進むなか、この数字は市民にとっては青天の霹靂で、財政破綻すら危惧される(市は既に37億相当の土地を大学建設地として加計に無償提供している)のはもちろんだ。

だがここではあえて市民の側ではなく逆の視点で、192億の建築費を計上している加計学園の側の狙いを考えてみる…と、ますますわけが分からなくなる。

市民からみれば倍額の予算で自分達を騙して私腹を肥やそうとするとんでもない話に見えるし、そうやって加計学園の懐に入った額の一部が安倍首相や国家戦略特区諮問委員ら、この計画を強引に支援してきた連中にキックバックされるのではないか、との疑いも出て来る。

だが当の獣医学部を作りたい側からすれば、ほぼ倍額に水増ししたその半額をもらえるのなら、これで辛うじて帳尻が合うという話でしかないのではないか?

むろん自己資金などでまかなわれるはずの残り半額を工面しなくて済むのは丸儲けだが、元々資金力がないのなら(そして現に、同学園が経営する千葉科学大は経営の失敗が受け入れた銚子市を財政破綻に追い込みそうになっている)、この不正で加計学園が得られるのは、ほぼ無償で新学部校舎を完成させられることだけで、誰も「私腹を肥やす」ことはできない。

安倍政権の周囲で潤うのも、建設を受注している逢沢一郎議員の親族会社に大きな仕事が来たことくらいなものになってしまう。

逆に言えば、安倍首相が自分の政治生命の息の根を賭けることになってしまった「腹心の友」優遇問題の本質は、安倍氏本人の側から見れば、こういう話でしかないのではないか?

だから安倍氏には悪びれるところや後ろめたさもなく、まるで自分が「誤解された」だけであるかのように振る舞えるのではないか?

というか、本人からすれば「誤解されているだけだ」と思い込んだままなのではないか?

つまり安倍さんから見れば「やる気」がある「腹心の友」が獣医学部を作りたがっているのに、それが出来ないのはおかしい。だから総理である自分が一肌脱いだ、という「善意」だけであるのなら、確かにそこに安倍さん本人の「悪意」は認め難いし、安倍氏や加計孝太郎氏個人のレベルでみれば、まさに「岩盤規制」と戦っていることにもなる。

ましてその安倍さんたちが本気で「日本の獣医学は遅れている」「国際水準の、新しい需要に応える必要がある」と思っているなら、新獣医学部の設立が「日本のため」であり、それが許されない現行制度がおかしい以上、この程度の異例の優遇は「不正」ではなく、行政をねじ曲げたのもまた「日本のため」ということにすらなるのだろう。


だが言うまでもなく、この安倍さんたち個人レベルの正当化の理屈は、根本的におかしい

まず獣医学部の新設が出来ないことになっていたのは文科省の省令、文科大臣の告示に過ぎない。

新たな獣医学部のニーズがあるのなら、特区制度を利用した抜け道などではなく、行政府の長の権限でそれ自体を改めればいいはずだ。

むしろ政治家、それも国家リーダーの責任とは、そういうことである。

それこそ先端ライフサイエンスや、この十数年ほどパンデミックが警戒されている鳥獣共通感染症(鳥インフルエンザ、SARS、MERS、エボラ出血熱など)への対応が急務の「国家戦略」であるのなら、その必要性は公約として掲げ、国会で議論し、しかるべき予算もつけて、理化学研究所や国立感染症研究所、国立大学の医学部や獣医学部などを巻き込んで進めるべき話だ。

だいたい家畜伝染病や人獣共通感染症のパンデミックへの水際対応で愛媛県、ないし四国に穴があるというのなら、そこでこそはじめて特区制度の出番になる。縦割り行政に傾きがちな日本の官僚制度に風穴をあけて、農水省や厚労省と文科省の連携をしっかりやらせる必要もあるし、それが特区制度本来の重要な役割のひとつだったはずだ。

ただし、ならばそもそも畜産業がほとんどない今治市に大学を作って済むことではない。愛媛県全体ならたしかにブランド牛もあって畜産も盛んなことだし、愛媛県全体を特区に指定する、というのなら分かるが、この特区指定はなぜか広島県と今治市であって愛媛県の他の地域は含まれていないのだ。

それに国家戦略特区を所轄する内閣府が縦割り行政の弊害を排するように動いた形跡もない。むしろ真逆で、文科省が検討に当たって農水省の意見を求めていたのに内閣府に無視されている。

安倍首相が自分の総理大臣という立場が理解できているのか、首を傾げざるを得ないのは、森友学園・「安倍晋三記念小学校」スキャンダルにも共通する。これだってもし教育勅語を基礎に置いた初等教育を安倍氏が理想としているのなら、それまで幼稚園と保育園しか経営していない弱小学校法人に10億の国有地を8億に値引きして払い下げたり、国交省の補助金についても斟酌するような裏口で支援するようなやり方ではなく、堂々と国策として提案すべきことだ。

総理大臣として、それが理想だと思うならそう国民に訴える責任が安倍さんにはあるし、それが行政府の長かつ政権与党総裁としての役割のはずだ。

その上で国会の議決や国民の支持を得られないのならそれまでの話、というのが民主主義社会における権力のあり方のはずだし、こと教育の話なら、裏口を通してコソコソとやるようでは、その教育の倫理的な根幹すら疑われかねない。

逆に「日本のため」なら、堂々とそう主張すべきだ。その上で国民の支持があるのに既存の行政制度の壁で認められないのなら、そこで初めて「岩盤規制」と言えるはずだが、安倍さんの頭のなかではそうなっていないらしい。


加計学園にしてみれば、むろん初期投資が事実上ゼロで新学部を始められるのは、それはそれで私立の学校法人にとって十分に夢みたいな話だ。

とはいえ、金銭的な利益にもなり「日本のため」にもなり得るのはあくまで、十分に学生が集まり、学校経営が成り立てばの話だ。しかも大学経営なら普通の学部でも採算ベースが確立するのは4年目に、全学年の生徒が揃ってからだし、獣医学部の場合は6年カリキュラムなので、それまでが大変になる。

そんなことも頭に入れながら図面を見てみるに、加計学園のプロジェクトはますます、どれほど真面目に現実性があるのか疑わしくなる。

本当に真面目な大学設立計画で、ちゃんと採算性や将来性を考えたものなのか?

すでに当初の一学年定員160名の予定は大学設置審議会から疑問が出て140名に減らされている(つまり授業料収入は1割半ほど減る)上に、結局は判断は保留になっている。審議会の答申は原則非公表だが、報道各社の取材によれば、実習時間が既存の獣医学部の1/4しかないこと、「既存の獣医学部では対応できないこと」をやるのが国家戦略特区を認める条件だというのに、新分野への対応が不十分であることが問題視されたそうだ。

図面を見ても、一学年の定員が140人なのに図面によれば300人の大教室があったり、一方で実習設備のサイズはちぐはぐで、6学年840名(ないし元の計画なら960名)にはおよそ足りなさそうだったり、ずいぶんと派手なハッタリとケチくささが奇妙に同居しているように見えてしまう。

実習時間が既存の獣医学部の水準の1/4しかない、という問題もここに通じる。坪単価150万という超高額(ちなみに超一流と言っていい北里大学の獣医学部で坪単価82万で済んだという)なのに、なぜ実習設備をケチったのと同様のことで、実習費は確かに高価になるからと言って、実習時間を安易に減らしてしまえるのだろうか? 
獣医学部では少人数で実際の動物を使った実習が要になるが、これには金がかかってしまう。  
先月の国会閉会中審査で自民党の青山繁晴参議院議員が取り上げた、私大獣医学部の水増し定員問題も、真の理由はこの実習費の高さにある。獣医学部志望者が多いかどうかなんて、入学試験できちんと定員通りで切ればいいわけでなんの関係もないわけで、青山氏らが展開したのはまったく馬鹿げた詭弁だった。 
実際には、私大の獣医学部は既存の定員通りだと経営が赤字になってしまう窮余の策で、授業料の稼ぎを少しでも増やそうとしているのだ。 
授業料が高いからといって大学経営上有益なわけではまったくないのだが、加計学園はそんなことすらまったく分かっていなかったのではないか?

なかでもよく分からないのが、7階がまるまる会議室スペースで、大会議室にはとても広いパントリー(調理場)まで付随している。そこに生ビールのサーバーや、ワイン保存庫まで設置されることには、さっそくマスコミのかっこうなネタにされた。どう考えてもパーティー会場にしか見えないのだからしょうがない(学園側によれば、ワイン保存庫は取り消しになったそうだが)。



だがもっとおかしな点がある。

繰り返しになるが、国家戦略特区として獣医学部の新設が認められる要件のひとつが「既存の大学獣医学部では対応できないこと」で、加計学園や今治市、国家戦略特区諮問会議など要するに安倍政権側(加戸前愛媛県知事も含む)では、「最新ライフサイエンス」や、人獣共通感染症に特化した教育を売り文句にして来た。

もっとも、これはすでに虚偽であることがわかっている。文科省が存在を確認した流出内部文書のひとつでは、萩生田官房副長官と文科省の局長のやりとりのなかで、愛媛県が「プラスアルファ」としての特別な獣医学部は求めていない、と明言されているのだ。

だがその売り物になるはず(というか獣医学部新設が正当化されるためには必須)の実験設備が、5階の研究室・教員スペースの、それも極めて小さなクリーンルームしかないのだ。

外部との空気の出入りを遮断する出入り口や、内部を陰圧にして外に空気が漏れるのを防ぐ密閉構造を考えれば、せいぜい2人くらいしか作業ができない実験空間しか確保できない。

バイオセーフティ・レベル4までは目指していないにしても、こんなものでは鳥インフルエンザ・ウィルスなどレベル3のバイオハザード対応が出来るはずがない。

だいたい教員が常駐し、学生の出入りも多いはずの5階の研究室フロアに置くのもおかしい。理想は独立した建物、せめて最上階ワンフロアに隔離しなければならないのが常識だろう。

そうそう、パーティー施設だと疑われている7階を、最先端実験フロアにするのが正しい選択のはずだ。

しかもこのクリーンルームの直近にはエレベーターまであり、いったん実験している細菌やウィルスでも漏れ出そうものなら、そのシャフトの上下空間を通して建物全体で学生が感染の危険に晒されそうだ。

いったいどこまで真面目なのだろう? 計画の全体が、こう言っては悪いが素人の悪ふざけにしか見えなくなって来る。

こんなもので「国家戦略」のつもりなのか?

案の定、この獣医学部は安倍内閣自身が閣議決定した新獣医学部設立の要件も満たせそうにないし、大学設置審議会で「保留」になったのもせめてもの温情というか、昨今の文科省の方針で「却下」はなるべく出さず「保留」とすることで、形だけでも各大学の自主性を尊重することになっているからだ。文科省の審議会は「大学を作らせない」ためではなく、逆に新しい学校を作らせるサポートを担うのが本来の筋だからでもある。

だが、それでも申請が通らなければ、すでに「獣医学部は岩盤規制の象徴だった」と言っている国家戦略特区諮問委員会は、今度は「大学関係者がメンバーの新学部設置審議会こそ岩盤規制・既得権益」とか言い出しそうだ。

思い返せば、国家戦略特区を打ち出して「岩盤規制を自分がドリルの刃になって打ち破る」と言い始める以前の、第二次安倍政権の発足当時から、安倍さんはしきりと「戦後レジュームの打破」を主張していた。

「岩盤規制」もそんな「戦後レジューム」の一部だと言うのなら一応筋が通るが、逆によく分からなくなるのは、安倍さんがなにを「岩盤」とか「レジューム」とみなしているのかだ。

いやそもそも、「レジューム」ではなく regime、支配体制、カタカナ表記なら「レジーム」なのだが、こんな間違いを指摘されただけでも彼らは「揚げ足取りだ」どころか、「そんなことでケチをつけるのは岩盤規制派だ」と言い出しそうだ。

そういえば加計学園が提案していた獣医学部構想は、最先端ライフサイエンスや人獣共通感染症対策を売り物にしているはずが、MERS(中近東呼吸器症候群)をMARS(火星?)と誤記していた。 
第一次安倍政権の10年前から構造改革特区に申請して来たとか、愛媛県の加戸前知事によれば十数年来におよぶ、永年の念願のプロジェクトの割には、こんなところでもまったくお粗末だった。 
もちろん、加戸氏が国会で述べたこと自体がまるごと、まったくのその場しのぎの虚偽でしかなかったのだが。

安倍さんは外交では「法の支配」を主張して対中国や対北朝鮮の牽制のつもりでいるが、国内向けに「打破」を言い募っている「戦後レジューム」は、最初は改憲を目指していたり(つまり「憲法」が「支配体制」なのか?)、なのにその改憲から逃げた「解釈改憲」で安保法制を強行してみたり、あるいは法体系に特例を認める「国家戦略特区」を、さらに法の抜け道に利用しようとしてみたり、既存の刑法の体系に反する可能性が高いだけでなく中身自体が詐欺的で恣意的な運用の温床になりかねない「共謀罪」の強行採決など、むしろ「法の支配」をなし崩しにしてばかりだ。

法の公平性を損ないかねない特例や優遇の、うわべだけの合法化の言い訳として新たな制度や法を作ってしまったり、行政が積極的に法の抜け道を探ったり辻褄合わせの口裏合わせで記録をつけなかったり隠したりするのなら、形式上の合法性の上辺だけは担保され得てるとしても、それでは「法と制度に基づく統治」そのものが骨抜きになる。

法論理や立法主旨をねじ曲げた法をさらにねじ曲げて運用するような真似は、本来のまともな政府、あるいは「普通の国」なら避けるべきである以前に、まず本来なら必要がないはずだ。

ねじ曲げなければいけないほど社会の変化に適合しなくなった法や制度なら変えればいいだけだし、ちゃんと説明をすれば世論の支持も得られる。

法とは合理的かつ公平に解釈され運用されるものだという法治の大原則に行政府や司法府が忠実でさえあれば、わざわざ改正の手間すら必要がない場合も多い。

ところがこうした当たり前の「法の支配」の原則が、安倍政権には「戦後レジューム」や「岩盤規制」に見えてしまうらしい。

加計学園や森友学園をめぐるスキャンダルはその典型だ。「行政の私物化」なのは客観的に見てその通りなのだが、これらの事件は従来あった贈収賄や利権がらみの、政治家が私腹や党利党略に走った「私物化」とは動機の本質が異なっている。

この獣医学部スキャンダルのおかしさについては既に述べた通りだし、森友学園「安倍晋三記念小学校」スキャンダルに至っては、安倍さん達の主観としてはまったく純粋に、自分達が理想とする小学校を作って欲しくて、そのために籠池さんが頑張ってしまい、安倍さんたちはその純粋な「思い」に報いようと、国有地を格安で買えるように算段を尽くし、元々「抵抗勢力」である官僚をねじ伏せることが「戦後レジュームの打破」なのだと思ってしまっていたのだろう。

言い換えれば、安倍さん達の国家観や政治観というのは、民主主義や近代法治主義の問題以前に、そもそも国家のありようとして躰をなしていないのだ。日本の歴史でいえば弥生時代からヤマト王権への移行期レベルの、部族連合に「大王(おおきみ)」を乗せた程度の原始古代国家みたいなものが、安倍さん達の「理想」「美しい国」なのかも知れない。

その古代日本が、すでに始皇帝以来統一的な法と制度による国家統治を確立していた中国の帝国を模倣した律令制を確立しようとしたのが、現代にまで続く天皇を象徴的な中心とする日本国家の黎明(物部守屋を滅ぼした推古朝から、白鳳時代を経て奈良時代・聖武天皇の治世の前半くらいまで)なのだが、そんな実際の歴史を踏まえることすら、安倍さん達にとっては「自学史観」に見えてしまうのかもしれない。

日本が東アジア文化圏の一部だったのは記録が残る以前からの日本の歴史であり、法と制度に基づく組織化された国家統治もまた中国から学んだものであることは、今さら変えようがないのだが。 
まさか「聖徳太子」以降のすべてを否定するわけにも行くまい。

それにしても森友学園にせよ加計学園にせよ、あるいは「道徳」の教科化にせよ、安倍政権のとりわけ教育分野に対する目の敵っぷりは凄い。

一方で安倍政権の数少ないポジティブば成果としてあげられるのが、フリースクールの役割を拡充した規制改革なのだが(ちなみに文科省でこれを主導したのが、前川喜平・前次官だった)、これですら不登校やいじめ等の被害生徒の救済と多様な子どものニーズへの対応という本来の目的を、安倍さんは勘違いしていたのかも知れない。つまり、「学校」を否定するか、せめてその役割を相対化したかっただけなのではないか?

この人は、よほど学校や教育を基盤とする「知の体系」が嫌いなのではないか?

そういえば昨年には、灘や麻布などと言った、いわゆる超一流の私立中学高校が、採用した歴史の教科書をめぐって、それが「反日」だとする安倍シンパと目される層からのクレーマー攻勢に遭っている。

なんでも「OBだが今後は寄付金は出さない」という文言がテンプレート的に使用されたハガキが大量に送りつけられたのだそうだが、そのほとんどが匿名だったというから笑い話にしかならないのだが、そこに見え隠れするのは学歴社会における「超一流」権威を自分達の恣意的な身勝手でねじ伏せることを幻想する集団的な自己満足だ。

だいたい、問題にされたその教科書というのが、一律の通史的な歴史観を元に知識を暗記させるのではなく、多様な歴史を併記して生徒に考えさせることを目的に、元社会科教師たちが編纂したものだ。安倍シンパの人達が噛み付いたのは慰安婦問題なのだが、日本政府の公式見解である「直接に命じた証拠はない」もちゃんと明記されている。

およそ「反日偏向」などではなく、むしろ公平に多様な情報を与えて自分で考えさせるという、まっとうに近代的な教育方針の知的手続きの根幹自体が、この人達には気に入らなかったのだろうか?

まあ多様な情報を公正・公平に判断すれば、「慰安婦問題」の日本国の責任についての結論は、学術的にはとっくに見えているわけで、それが「反日」になるのかも知れないが。

こうした願望は加計学園問題をめぐる「岩盤規制」「抵抗勢力」という決めつけにも通ずる。例えば国家戦略特区ワーキング・グループの原英史座長なぞは「既存の獣医学部では対応できない」という条件について、具体的になにが対応付加なのかを問い合わせる気すらなかったと公言している。

その根拠とするのが以前に文科省が出した報告なのは滑稽ですらある。これは私学獣医学部の一部の現状を危惧した獣医師会の意向を反映した調査結果で、統廃合を促すものだ。獣医学部は実習などのコストが高く一部の私学は経営難への対処から定員水増し等が多く、全体の教育水準の低下が問題になっている。言うまでもなくその対応であれば、新規の私学獣医学部の新設では逆効果になりかねない。

今後の獣医学部教育はどうあるべきか、なにが課題で、どうすれば国際水準の最先端の教育へと刷新できるのか、といった課題についてもっとも適確に答えられるだけの情報や素養・知識を持っているのは、言うまでもなく現役の獣医師たちや獣医学部の教員・研究者のはずだ。だがこのスキャンダルでは、あらゆる局面でそうした専門家の専門知識や情報を踏まえた合理的な判断というものが無視されている。

国家戦略特区諮問会議やワーキンググループも、内閣府も、そういった本来の専門家は目の敵にして来ている(「既得権益側」になるらしい)し、加計学園なら加計学園の側では、掲げた看板だけは立派というか、既存の獣医学部を侮蔑するような大言壮語を掲げながら、中身はまったくお話にならない稚拙な素人プロジェクトを、今治市に出させた公金でやるつもりだった。

なにも専門家の言うなりになれ、獣医師会に従うべきだ、という話ではない。そこからきちんとヒアリングなりなんなりをしたうえで、合理的な判断を下すのは政治家の役割だ。ところがその本来の意味での知的かつ合理的な政治判断というものを、安倍政権はまったくやる気がないらしい。

これでは「国家」と呼ぶに値するだけのものを公正に運営することはとても出来ない。自分達がよく知りもしないことについて、その拙速な思い通りに行かないとなると、自分たちの不見識や無知を反省したくないから「岩盤規制」「抵抗勢力」「戦後レジューム」だから打破しよう、と言っているのが安倍政治の本質に思える。

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