最新作『無人地帯 No Man's Zone』(2012)
〜福島第一原発事故、失われゆく風景、そこに生きて来た人々〜
第62回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品作品

12/10/2017

「日本の伝統」が聞いて呆れる 深川八幡「御家騒動」殺人に見え隠れする神社本庁と、大相撲「暴行」問題と「国體」


江戸時代後期の深川八幡(広重)拡大はこちら

富岡八幡宮で殺傷事件が、という速報が夜のニュースで突然流れたとき、通り魔事件でないならもしや関連が、とふと頭をよぎったのが、この八幡宮が神社本庁とトラブルになり脱退していたことだった。

まさかこのからみで刃傷沙汰か、というのもさすがにあるまいと思えば、なんとその通りだった。

多くの神社でそうであるように、ここの神職も世襲で、代々富岡家で引き継がれて来たものだったが、跡取り息子が不倫セクハラと使い込みで宮司の地位を追われ、そこでいったんは父である先代の宮司が復職し、氏子さんたちの総意もあってそのお姉さんである長女の富岡長子さんが神職を引き継ぐことになった。

ところが神社本庁はこの人事を許可せず、まともな返答もなく棚晒しにし続け、しびれを切らした氏子さんたちが神社本庁から脱退させ、長子さんが宮司になっていた。今回の事件の被害者である。

同じ八幡宮がらみでは、八幡信仰の総本宮である九州の宇佐神宮も神社本庁とのトラブルになっていて、地元の地域社会や氏子さん、さらにはこの由緒正しい八幡信仰のメッカを支えて来た同じ地方の神社(県神社庁支部)からの怒りを買っている。

毎日新聞の報道
https://mainichi.jp/articles/20160607/ddl/k44/040/300000c

ここでも世襲の神職一族の後継者の女性宮司を神社本庁が認めなかったのが混乱の始まりだ。解任された女性宮司は神社本庁相手に裁判係争中だ。

富岡八幡宮の事件は宮司一族の御家騒動という報道で、現職宮司を殺害した弟の元宮司が自殺しているので、マスコミでも動機はうやむやに済まされそうだが、神社本庁の不思議な対応が事件の原因に関係していることには、なぜかほとんど言及がない。

なぜ報道各社が、神社本庁が富岡長子さんによる継承を拒否し続けたのかを追及するというか、せめて神社本庁に取材を申し込むくらいのことはしないのか、理解に苦しむ。

長子さんが宮司を継ぐことがすんなり決まっていれば、いかに多々問題があって追い出されたも同然の元宮司の弟とはいえ、ここまで話がこじれることにはなっていなかったのではないか?

神社本庁の奇妙な対応が、犯人にあらぬ期待といか妙な自己正当化の理屈を与えたことはなかったのか?

少なくとも、神社本庁から脱退しなければ長子さんが正式に宮司になれなかったということは、姉殺しの殺人犯になった弟からみれば「ほら見ろ、姉は正規の宮司ではない。自分こそが本当の宮司なのに乗っ取られた」という逆恨みを信じ込み続けられる大きな根拠のひとつにはなる。

神社本庁もなにも言わないので憶測しかできないが、気になるというかとっかかりになりそうなのは、富岡長子さんの公式ブログの最後のエントリーだ。

12月7日づけの富岡長子さんのブログ「世の中間違ってやしませんか」
https://ameblo.jp/tomiokashrine/entry-12334480912.html

彼女はここで他所の神社の神職との忘年会が億劫であること、自分がセクハラに遭ったこと、その加害者である神主を他の神主が言い訳にならない言い訳でかばおうとした経緯を赤裸裸に語り、今後も同じようなことが続くなら実名を公表するとすら言っている。

神社の神職のオジサンたちの世界というのは所詮こういうものであり、宇佐八幡宮の場合も同様で、神社本庁側ではぶっちゃけ、もともと軍神である八幡大菩薩のお宮の宮司を女性が務めるなんて許せん、という男尊女卑丸出しだったのではないか?

男女平等は「現代の価値観」などという以前の問題だ。富岡長子さんはセクハラを告発したブログで、

「深川の人達は普通の街の人達ですけど、万が一、そういう事があればキチンと注意してくれます。「失礼だろう」と……」

…とも書かれている。

こんな普通の道徳が通用しないのが神主とか全国の多くの神社とか神社本庁の体質なら、曲がりなりにも宗教どころか、人としてあまりに非常識だろう。ましてかように人としてあるまじき歪んだ価値観に染まった人達が宗教を語る(騙る)こと自体、なにをかいわんや、となろう。

どうせ神社本庁なんてそんな自称「保守」な身勝手オジサンの集団でしかなく、曲がりなりにも宗教なのだからと期待する方が間違いだろう、と言われるかも知れない。ちなみに自民党の有力支持団体でもあるわけで、現政権の閣僚も大半がその政治団体のメンバーでもあるが、その自民党の方でもさる議員の「巫女さんが自民党を支持しないとはけしからん」暴言が問題になったこともあった。

宇佐八幡に神社本庁の要職から天下った、というか天皇家の重要な祖先神で第十五代応神天皇を神として祀り、清和源氏の氏神となりその系譜を称する徳川将軍家の崇敬も集めた全国の八幡社のなかで最も格式高い伝統を持つ総本社・宇佐八幡に神社本庁からの天下りで押し付けられた現宮司の振る舞いも、評判を聞く限りではさすがに宗教者として、あるいは地域の地縁コミュニティの要である神主として、というかそれ以前に人として、あまりにあるまじき人格と言わざるを得ないような話だ。

いずれにせよ神社本庁は「脱退した神社のことだから」「富岡家のトラブルだから」として関知しない、などと逃げずに、この事件についてしっかりしたコメントなりなんなりをしなくては、曲がりなりにも宗教団体、それも日本の民俗信仰を統括する団体としての責任は果たせまい。

百歩譲ってこれが富岡八幡宮の宮司一族の御家騒動に過ぎないとしても、そうしたトラブルがあった際に調整役・調停役として事態の解決に当たることもできず、氏子つまり信者の信頼を裏切るようでは、いったいなんのための全国の神社を統合する団体なのか?

神社本庁の側から積極的にコメントを出すべきことについて、マスコミがまったく及び腰なのも困ったものだ。 
自民党つまり政権与党の有力支持団体で、昨今はとりわけ同党内の右派や安倍政権との結びつき、森友・加計両学園のスキャンダルでにわかに注目される「日本会議」と癒着している可能性もあるから、政権に忖度してこの事件を単なる家族トラブルで片付けようとでも言うのだろうか?

広重 江戸名所深川八幡の社

それにしても、昨今はやたらと「日本の伝統」を強調したがる傾向が強い。東京オリンピックのエンブレムだけでなく、小学生の投票で選ばせるというマスコットでも「日本の伝統」が強調されている。

だがその肝心の「伝統」の担い手だったり、自分達こそその「伝統」を尊重しているのだと自負しているつもりの人々…とすら言う気が失せる、【そんな輩】に限って、この一件に限らずあまりに不道徳というか倒錯というか、堕落して劣化していないだろうか?

「国技・伝統」の大相撲の「暴行」問題も世間を騒がしているが、このスキャンダルでみんな気付いているのに誰も言わないことがひとつある…と思っていたら「被害者側」の貴乃花がミもフタもなく、この「暴行問題」の彼にとっての本質というか、なぜ必要以上に事態を混乱させているのかを、あられもなく口にしてしまっていた。

支援者に囲まれた「内輪」の席とはいえここまでバカ正直でどうするだ、とびっくりさせられるのだが、貴乃花は…

「国體を担っていける」

…大相撲を守るために戦っているのだそうだ。おいおいおい…

現役時代の末期には、晩年の父・藤島親方が「息子は洗脳されている」と週刊誌に漏らしてちょっとした騒動になったこともあったが、「あぁ、やっぱりそういうことなのね(呆)」というか、またとんでもないものに洗脳されてしまっているのか?

さすがにマスコミの前ではなく部屋の打ち上げパーティーでの発言で、しかし一度は報じられたものの、これまたこの事件に関する報道がこれだけ多い割には、まったく無視されているのも気になる。

貴乃花が相撲協会内の「改革派」というのも、要はこういうことなのは、業界内ではみんな分かっているのかも知れないが、それでも誰も明言はしないのだが、喩えて言うならやっぱり誰かさんの「戦後レジュームの打倒」みたいな保守懐古趣味の方向での右翼というか極右排外志向の「改革」で、狙われたのが白鵬・日馬富士らモンゴル勢というのが、少なくとも白鵬が優勝インタビューであえて口にした「膿を出し切る」の意味するところにしか見えない。

40回優勝という大記録の優勝パレードでも、白鵬はわざわざ宮城野部屋の弟弟子ではなく、モンゴル出身の後輩を、介添えでオープンカーに同乗させた。モンゴル人力士達は、最初からこの事態を貴乃花の狭量な国粋主義の差別排外主義の動きだと見て、抵抗の意思表示を念頭に動いていることがかなりはっきりしている。

白鵬がわざわざ「貴乃花親方が巡業部長では安心して相撲が取れない」と言い放ち、相撲協会がその上下関係を無視した異例の言い分をあえて受け入れたところ、今度はあたかも白鵬と貴乃花の個人的な確執であるかのように話を矮小化しているマスコミ報道もいかがなものか?

暴行事件それ自体は、もちろんどんな理由であれ殴ってしまった日馬富士が悪い、となるのが現代の標準的価値観では当然なわけだし、それは建前で「口で言っても分からない奴には」的な保守的な「伝統」が相撲界の内部では未だ日常化しているままだとしたら(そういう世界は相撲に限らずスポーツの世界では、高校の部活などでも常態化しているらしいが)、それはちゃんと明らかにした上で「膿を出し切って」体質を改めることは必要だろう。

だが貴乃花の動きはどうみても、そうした相撲協会や相撲界の「体質」を改革するためではないし、少なくともモンゴル出身力士たちはそうは受け取っていない。

なにしろ「國體」だけでなく、「角道の精華」とやらで「八州に輝く」のが理想なのだそうだ。またずいぶん時代錯誤な国粋主義もあったものだが、さすがにこれはもう相撲協会の新人養成では使ってないそうだが、ちょっとびっくりしてしまう内容である。

事件初期に出た報道だと、土俵で闘う相手と酒を飲んで仲良くなんてとんでもない、というわけで貴乃花は貴乃岩にモンゴル力士会に参加することを許さなかったという。これも相撲協会が「生活互助会で飲み会ではない」と慌てて訂正を出す話になったが、モンゴル人力士たちから見れば貴乃花がモンゴル人を弟子にする条件は、モンゴル人と付き合わないこと(同朋と縁を切って日本人に同化しきること)にしか見えまい。

そして協会の危機管理委員会が発表した事件の経緯によれば、貴乃岩はしきりにモンゴル人横綱たちにわざと反抗するような態度を取り続けたらしい。

もちろんこの中間報告は一方的だ、貴乃岩の言い分が抜けているから判断できない、という意見はあろうが、警察に証言したという「睨んでない、話を聞くので見ていただけ」と言うのでは下手な言い訳にもなっていないし、より肝心なのは、白鵬や日馬富士、鶴竜から見れば、こうした態度が単に貴乃岩が「生意気」ということには見えないであろうことだ。

はっきり言えば、貴乃花親方の反モンゴル国粋主義に、かわいい後輩が洗脳されているようにしか見えない。あたかも貴乃岩が貴乃花部屋で関取を続けるには、モンゴル人同朋と縁を切り、モンゴル人であることを棄てて日本国粋主義の「國體」に隷属することでしか許されないかのようだ。

その貴乃花はしかも、「弟子を思う」どころか自分の部屋の出世頭の貴乃岩を却って苦しめるように、その立場が悪くなるようにしか動いていない。

貴乃岩本人が事情を協会に話しそれがマスコミに出るのがよほど嫌なのだろうか? 
隠して部屋に閉じ込めて、「容態が良くない」と被害者側ぶりながら医者にも診せていない(本当に深刻なら、マスコミを避けるためにも入院させるのが最良の手のはずだ)のは、いったいどういうことなのか? 
PTSDなどの精神症状が問題なのだとしたら部屋の九州場所での宿舎のプレハブに窓を目張りして閉じ込めておくなんて扱いがいいわけがない。

こうなると暴行事件それ自体については加害者である日馬富士も被害者だし、その意味でも言うまでもなく、もちろん何重もの意味でもっともかわいそうな被害者が貴乃岩だ。

もちろん相撲界全体が、単に相撲協会がというのではなく、むしろそれを取り巻く相撲マスコミなども含めて(というか、そっちの方がむしろ激しく)、いわば「保守的」というか、一皮むけば相当に人種差別的なものであり続けている。

日馬富士といえば先々場所に満身創痍の1人横綱で最後には見事に優勝を勝ち取ったのも記憶に新しいが、それ以上に印象が強いのが、稀勢の里が横綱としての初の場所で全勝を阻んだ凄まじい気迫の取り組みだった。結果、稀勢の里はこの時の怪我が元で苦しみ続けているわけでもあるが、この一戦だけは絶対に負けまい、と決意した日馬富士の気持ちはよく分かる。

その前の場所では、稀勢の里が白鵬を敗ったこと自体は結構なことだが(全勝優勝で横綱昇進になった)、あの観客の喜び方はいったい何だったのか? 白鵬も日馬富士も、そうなるのが分かってはいても、それでも愕然としただろう。

かつて朝青龍が引退に追い込まれた時の悪夢が2人の頭をよぎったとしてもなんの不思議もない。こと白鵬はああはならないように、土俵の外では慎重な「優等生」に一生懸命徹して来た。一方で土俵上では「勝つことが品格」と開き直った、というか覚悟を決めるようになったのも気持ちは分かる。どんなに頑張っても、稀勢の里以前では日本人最後の横綱だった貴乃花が「土俵の鬼」、横綱の鑑だと言われ続けるのだ。

ではかつての貴乃花と白鵬、どちらの相撲が「土俵の鬼」と言えるのか?

貴乃花の名勝負というと2001年の武蔵丸との優勝決定戦がすぐ持ち出されるが、これもひどい。「痛みに耐えてよく頑張った」というが、あの取り組み、どうみても武蔵丸は手加減をしている。ここで本当に「土俵の鬼」になって怪我をしている貴乃花を打ち負かせば、ハワイ人である(日本人ではない)自分にどんな怨嗟が向けられるか、分かったものではないし、そうでなくとも手負いの相手に本気の取り組みはできないことの方が「相撲道」だろう。

藤島親方は貴乃花に、あの千秋楽は休場するように説得しようとしたそうだが、それが「横綱の品格」というものではないか?

こんな「国技」相撲を取り巻く環境のなかで、元北勝海の八角親方は実はよくやっていると思う。世論に押されて稀勢の里を久々の日本人横綱にした時に、同時に売り出したのが弟弟子の高安だ。高安は日本国籍とはいえ母親はフィリピン人で、日本国内のフィリピン人コミュニティが高安を応援している姿もマスコミで流れるように仕向けた。

相撲は「国技」だ、「日本の伝統」だというが、モンゴル人力士を含めた多くの外国人をこれだけ受け入れて来ている今、相撲界は(協会が、というのではなく観客や相撲マスコミやワイドショーも含めて)その現実をもう一度よく考えるべきではないか…と思ったら、相撲解説者になった舞の海などは、「憲法九条があるから日本の力士は強くなれない」などという暴言まで言っているらしい。ちょっといい加減にして欲しい。

念のため言っておくが、プロレスに転向した力道山は言うまでもなく在日コリアンだし、昭和の名横綱・大鵬は樺太産まれの引揚者で、父はウクライナ系のロシア人だ。

そのウクライナ(冷戦後の現代では俗に「世界一の美人の産地」とまで言われ人気モデルにもその出身者が多い)の血が入った、目鼻立ちのはっきりした美男ぶりから、大鵬人気には女性ファンも多かった。

だいたい相撲が江戸時代から大人気の日本の伝統の大衆娯楽なのはその通りだが、「国技」というのは近代の産物であって伝統でもなんでもない。

むしろ近代化のなかでいかがわしい野蛮な見せ物のように誹られる傾向が強く、そこで相撲専門の競技場を造るときのネーミングで「国技館」と大きく打って出て権威化をでっち上げようとしたのが、相撲が「伝統の国技」になった始まりだ。

同じような道をたどったのが歌舞伎だ。

今ある歌舞伎の名家・大名跡は市川団十郎家にしても尾上菊五郎家にしても中村勘三郎家にしても、確かに江戸時代の「大芝居」に遡るものだが、歌舞伎座のようなステータス・シンボル的な権威付けも含めた今の上演形態は、西洋演劇のぶっちゃけ模倣である「新劇」がインテリ的にもてはやされて大衆芸能である歌舞伎が「古くさいもの」として貶められようとしていたのに対抗した団菊佐時代に基礎があるもので、江戸時代の歌舞伎そのままでは決してない。


ちなみにこの歌舞伎の「伝統」とナショナリズム的な純血主義の関係で言えば、十五代市川羽左衛門がフランス系アメリカ人の子だという噂があるが公式にそう認定されたことはなく、「歌舞伎俳優=純粋日本人」というか、日本人でなければ歌舞伎なんて演じられないという固定観念は根強い。 
こうした偏屈な保守性(と言っていいだろう)に風穴を空けようとしているのが七代目尾上菊五郎、フランス人を父に持つ菊五郎の孫・寺嶋眞秀(母は女優の寺島しのぶ)が今年、「初お目見え」と言いながら実際には「初舞台」と言っていい大役で歌舞伎座デビューしている。 
幸い、眞秀くんの堂に入った演技で(ほんの二日目か三日目には観客の喝采や笑いを計算したタイミングで台詞を言うようになっているのだからたいしたものだ…)好評に終わったものの、ここに漕ぎ着けるには相当に抵抗もあったであろうことは容易に想像できるし、こと菊五郎は記者発表で「ポスターに『グナシア寺嶋眞秀』と本名を出したかったが会社に『字数が多過ぎて入らない』と言われた」という冗談に、しっかりと抵抗の大きさとそれに屈しない音羽屋の決意を滲ませていた。


いやだいたい、明治の産物でしかない「伝統」を言うのなら、話を深川の八幡宮に戻せば「神道」なるもの自体が、明治に国がかりで作り上げられた新興宗教なのが実態だ。

まず江戸時代までの日本人は「神仏」を信仰していたのであって、教義的には「神道」というか「社」に祀られたカミガミへの信仰は仏教に取り込まれることで体系化されたのが、平安時代の空海と最澄による密教の導入以降1000年以上の日本の「伝統」だ。

富岡八幡宮や宇佐神宮の祭神である第十五代応神天皇は、仏教伝来前の天皇(ちなみにこの応神帝が実在した可能性が高い天皇と神話上の天皇の境目になる)だが、明治以前の神号は「八幡大菩薩」であり、視覚化された表象は仏僧の姿が一般的だった。

快慶 僧形八幡神坐像 建仁2(1201)年 国宝
本来は手向山八幡宮の本尊 明治の神仏判然令で東大寺に移された

あらゆる仏、ひいては世界そのものが究極的には大日如来から派生するとみなす密教の教義理論で、日本のカミガミは仏が日本向けにカミの姿を取った存在(権現)とみなされるよう体系化され、「神仏習合」が理論的にも裏付けられるようになった(本地垂迹説)のが平安時代以降だが、神仏「集合」と言うものの、それ以前に仏教とカミガミへの信仰がそもそも別個のものだったかどうかも、実のところよく分かっていない。

むしろ例えば東大寺には創建当時から鎮守社として八幡神が勧請され手向山八幡が付随していたり、飛鳥時代に遡れば今も続くなかでは最古の仏教寺院である大阪の四天王寺が物部氏の屋敷の跡地ないしその古墳に建てられたという伝承があるように、仏教の伝来とほぼ同時に漠然と「神聖なるもの」としてカミも仏も同列に信仰対象だったと考えた方が合理的だし、逆に言えば仏教もまた、受容の課程でカミ化しているとも言える。

奈良・東大寺総鎮守 手向山八幡宮 神門 江戸時代

京都の賀茂川の東側の花街が祇園と呼ばれる、その地名の起源が仏教の経典にある「祇園精舎」であることが、明治以降にはよく分からなくなっているが、明治以降は「八坂神社」と呼ばれている社の本来の名が「祇園社」ないし「祇園感神院」だから「祇園」と呼ばれるようになったものだ。

祇園社(祇園感神院・現「八坂神社」)本殿 承応3(1654)年

花街の起源はその門前(現在の南楼門。こちらが正門で祇園・四条通に面した西楼門は正門ではない)にあって参拝客を接待した茶屋だ。

明治以降はスサノオノミコトが主祭神とされているが、元々は仏教で閻魔大王の両脇に控える牛頭馬頭の二神の牛頭大王(祇園精舎の守護神ともされる)が祀られており、本地垂迹でスサノオと同一視されていた。


だいたい「感神院」という名称はつまり寺院だったのだし、高句麗からの渡来人が建立したという社伝の一方で、歴史研究によれば9世紀に元は寺として建てられた可能性も高い。元は興福寺の末社で、その後室町時代までは比叡山に属していた。

「祇園社」が「八坂神社」になったり、東京の浅草寺に付随する三社権現が「浅草神社」になったりしたのは、あまりに極端な違いだが、類推がつく範囲の改変では「八幡大菩薩」では仏教になってしまうので神号が変わった八幡神の総本社が「宇佐神宮」になったのも明治以降である(正しくは「八幡大菩薩宇佐宮」ないし「宇佐八幡宮弥勒寺」)など、枚挙に暇がない。

むしろ名前が変わっていない神社を探した方が早いのかもしれない。

東大寺と興福寺の隣にある藤原氏の氏神が「春日大社」なのも「春日明神」「春日権現」ないし「春日社」が明治以降に変えられたものだし、元はお隣の興福寺と一体だった。

ここの四つの本殿の周囲は20年ごとの式年造替で修理(かつては建て替え)がある時以外にはほとんど誰も立ち入れない聖域だが、その本殿前の中門の左右の、本殿と向き合う部分(ただし本殿とのあいだには冊が)は、かつては興福寺の仏僧が読経し祭礼を行うスペースだったと、今の春日社ではしっかり説明看板も立てている。

春日大社 中門より本殿第三殿 この左右の御廊が興福寺の僧侶の読経スペース

神社本庁が卒倒を起こし出すような話かも知れない。昨年の式年造替に併せて新しい宝物館も開館したが、展示品のかなりの部分が仏教美術のカテゴリーに入るものだし、そのこともしっかり説明されている。

由緒ある神社となると有名観光地でもあり、こと外国からの観光客もこれだけ増えれば「なんとなく」ではなくきっちり文化財の由来や歴史は説明しなければならない。そうすれば必然的に、自民右派(というか安倍政権)と結び付いて右傾化の急先鋒にもなっている今の神社本庁とは意見が合わない、目障りにはなるだろう。

ちなみに境内の五重塔・経蔵(輪蔵)・本地堂の仏教施設を守り抜いた日光東照宮は、とっくの昔に神社本庁を脱退している。

日光東照宮 経蔵(輪蔵) 
同 本地堂(薬師堂)
本地堂(薬師堂)いずれも寛永13(1636)年
日光東照宮の仏塔である五重塔 文政元(1818)年再建

だがそもそも、神社本庁というか明治政府が造ろうとした「神道(国家神道)」がイメージして来たような「伝統」は日本にはなかったのだ。

日光東照宮も山の裾野から斜面に建てられているが、春日大社と言えばやはり山の麓にあって、回廊が妙にねじ曲がっているというか、真っすぐに建てられていないことも知られている。

春日大社 東回廊
南回廊(東側つまり山側)


この社伝は本殿の第一殿の祭神タケイカヅチノミコトが鹿島神宮から奈良に降り立った御笠山の麓に建てられている。

春日大社 本殿の東側の奥の院 つまり御笠山を拝む遥拝所

神聖な山の斜面を切り崩して平らな境内地を造成することは宗教的に許されない。そこで回廊は斜面に沿って斜めに歪むことになった。



京都の下鴨神社(加茂御祖社)の糺ノ森が有名だが、神社には本来鎮守の森が付随するのが当たり前だったし、徳川家康が日光に葬られたのは、日光山系全体が元々は修験道の聖域だったからだ。

巨岩や山や島そのものがご神体である神社も多く、あるいは境内に川が宗教的な意味を持って流れていたりする場合も多い。

下鴨神社(加茂御祖社)の御手洗川と御手洗社

要するに、日本人の信仰体系は元をたどれば自然信仰であり、そこには農耕民族としての文化を古代から育んで来たからではの、狩猟や牧畜が主たる文化だったことがうかがわれる、たとえば旧約聖書のような神話体系とは、かなり異なった独自性もある。たとえば多くのアニミズム信仰でおなじみの地母神信仰は、縄文時代にはそう解釈される土偶が見つかっているものの、その後の日本にはない。

大地そのものがひとつのカミではなく、それぞれの土地にそれぞれ地霊があり、あるいはその地霊がカミとして社に祀られたり、その地霊を鎮めるための「鎮守」のカミが勧請されるのだ。特に神聖視されるのが、普段の生活で人間社会の外にある山で、ちなみに地母神信仰の形跡がなく山が崇拝対象になっている例では、他に現在のカンボジアのクメール人がある。

ちなみにいわゆる「日本人」の起源となったのは恐らく弥生時代に日本列島で稲作を始めた人々だろうが、弥生人にも恐らく山岳信仰があった形跡がある。そして最新の研究では、この弥生人の起源がカンボジアから中国・雲南省辺りではないか、という説もある。 
クメール文明はその最盛期に山に見立てた巨大な仏塔(須弥山)を中心とするアンコールワットのような巨大石造寺院を造るが、弥生時代に稲作を始めた日本人が、やがて王の墓として人工の山を造営し始めたのが、いわゆる「古墳」だ。

なお地母神がない代わりと言うわけでもなかろうが、日本では太陽神は女性だ。

土偶「縄文のビーナス」

縄文時代に日本列島にいたのが必ずしも今の日本人と同一民族とは言い難いが、この時代ですらかつては新石器時代の狩猟採集文化だと思われていたのが、木の実などを食するにしてもほとんど農耕と言っていいものだったことが最近の発見や研究で明らかになっている。

そして原日本人が成立したと言える弥生時代は、ほぼ完全に農耕を基盤とした文化だ。

農耕は自然のサイクルがいわば例年通りというか、四季の変遷がいつも通り安定していることが肝要で、稲作のような農耕コミュニティの生産や生活はその自然に依存しつつ、かつ自然を人間の力である程度作り替えて人間の領域を作り出すことで成立する。だが人間のコントロールの範疇にはもちろん限界があり、例えばどんなに用水路や溜池を整備しても(例えば空海が造った溜池という伝承は日本中にある)、たとえば雨が降らなければ困るし、降り過ぎれば洪水になって稲作コミュニティは崩壊する。

そうした生存環境のなかで、日本人は人間外の大きな力を畏怖しつつ、その大きな力がそのまま発揮されないことを祈る信仰文化を作り上げることで日常を守ると同時に、その日常から逸脱したものを恐れながら崇拝もし、その崇拝行為を平凡で退屈な繰り返しになりがちな、地道な日常のサイクルにメリハリをつける娯楽ともして来た。

だから神社においてはその周辺地域コミュニティ全体が参加する祭礼が大事だったし、仏教も「外の世界」から来た外来信仰だからこそ神聖なものとしてすぐに受け入れられ、最初はエキゾチックで華やかなものとして発展した。こと「大仏」などはいかにも分かり易い。奈良時代では「大きくて目立つことはいいこと」だったのだ。

東大寺 大仏殿

相撲が日本の「伝統」であるのも、要はそういうことだ。相撲取りは尋常な人間の標準を超えて巨大であり、その「人並み外れた」力を体現する力士どうしがぶつかり合う祭礼というのが、大相撲が「神事」である由縁であって、貴乃花が言っているような大げさな「國體」だの「毘沙門天が乗り移って」だのと言うようなものではない。

石山寺・毘沙門堂の兜跋毘沙門天 平安時代前期8〜9世紀
毘沙門が中国西域の兜跋国(今のトルファン)に現れた姿と言われる
この形式の毘沙門天像の原型は京都・東寺に伝来する唐代の渡来仏と
みられ、他に滋賀県の善水寺、京都府の鞍馬寺、岩手県の成島毘沙門堂など

だいたい日本のカミではない。毘沙門天は仏教の護法神で、元はインドのクベーラ神、四天王として祀られる場合は多聞天で、上杉謙信に勘違いした憧れを抱いているらしい貴乃花には申し訳ないが、元々は財宝の神で軍神ですらない。ちなみに日本では財宝と豊穣の神になっている大黒天が、元はシヴァ神で、軍神・破壊神だ。

快兼 大黒天立像 南北朝時代 貞和3(1347)年

明治時代に日本を激変させた、西洋由来の近代の価値観でいえば、相撲は異常に太った巨漢が力を競うというか見物に供する「奇人変人ショー」にしか見えなくなったのだろうが、異常と言うか非日常的に大きく非日常的に太った力士が非日常的な一瞬に力を発揮することそれ自体が「相撲は神事」なのだ。

広重 両国回向院境内全図 天保13(1842)年
中央に仮設の大きな見せ物小屋が見える

土俵は「結界」であり人間離れした=カミ的な力を持つ相撲取りがその力を解放していいのはその結界の中だけだ。このように「結界」が重要になるのも、日常と非日常(たとえば祭礼)、平凡な人間と尋常ではない異なるものとの微妙なバランスを保つことが信仰文化であったからこそだ。

現存する最古の神社建築は平安時代末の宇治上社の本殿だ。それ以前のカミ信仰空間の構造は古代から同じ形で式年遷宮を繰り返して来たとされる伊勢神宮など以外は、発掘された祭祀遺跡など、ごくわずかな断片的な痕跡から類推するしかない。

宇治上神社 本殿 平安時代後期11世紀

この平安時代の本殿が、内部に三つの祠を祀る、言い換えればその神聖な祠の覆い屋になっている。つまりは神聖なる力を直視しないで済むよう、その力が野放しにならないよう造られた結界とも考えられる。



中世に入ると神体や神霊が固く閉ざされた扉の奥に鎮座する本殿の前に、さらに拝殿などを設け、柵で囲い直接には全体が見えないようにすることが一般化する。


春日大社の本殿も、下鴨神社の東西の本宮も、上賀茂神社の本殿・権殿も、ほとんど直視できないほどに囲われている。

下鴨神社 御簾越しにしか見られない東御本宮(国宝) 江戸時代寛永期の式年造替

伊勢神宮の本宮がその最たるもので、冊の内側に入って本殿を直視できるのは天皇だけとされている。出雲大社も本殿は拝殿から仰ぎ見ることは出来るが近づくことはできず、誰もまず中に入ることがない。

そうした結界を破るとなにが起こるのか、どういう「罰が当たる」のか、縁起でもないので神社では口にされることがほとんどないが、仏教寺院の方でははっきりした伝承や伝説も少なくない。 
浅草寺の秘仏の黄金の観音像や東寺西院の不動明王は「見たら死ぬ」だし、法隆寺夢殿の救世観音はかつて秘仏で「厨子を開けたら天変地異が起こる」、長谷寺の縁起によれば最初の本尊が彫られたのは琵琶湖の北から流れ着いた巨大な霊木で、本尊の十一面観音が彫られるまでは何十年にも渡って多くの人を祟り殺している。

相撲の土俵も結界なら、横綱というのも語源は土俵入りの際に腹に巻く大きく太い綱だが、これも神社の神木にしめ縄が巻かれるのと同様、結界だ。尋常ならざる巨体が尋常ならざる力を発露させる「神事」が相撲であり、とりわけ最強の横綱の腹の中に存する力が発揮されるのは特別なときだけで、拮抗するような霊力を持ちそうな太い綱で閉じ込められなければならない。

その神聖な力とはつまり、横綱が普通の人間とは異なるからこそのものであり、だからウクライナ系の血を引く大鵬やモンゴル人の白鵬、日馬富士や朝青龍が横綱である、ハワイ人の曙や武蔵丸が最強であったことは、純然たる日本人(つまり日本人にとって「普通の人」)でないからこそでもあるのが、相撲の「伝統」の本来だとすら言える。

歌舞伎だって同様だ。尾上菊五郎は1人で「四谷怪談」の殺されるお岩と殺す側の二役、三役を演じて評判になり、さらにこれは元々は忠臣蔵に組み込まれて演じられる芝居で、そうなると大石内蔵助(大星由良之助)まで菊五郎が演ずることになる。
 
市川団十郎家に至っては、にらむことに魔除けの効果があるとされ、『暫』などが正月に演じられるのは祝祭の縁起物だし、初代の当たり役は全身を赤く塗って演じた不動明王だったりする。

自然の、人間外の、人間を超越した力は、それがなければ人間世界の生活も生命も成立しないが、それが過剰に作用すれば今度は危険になる。だからカミは慰撫し安んじてもらわなければならないし、結界の中に留まってもらうか、人間世界にみだりに侵入されても困る。だからその自然の力が集中し高まったものであるとことの神を祀る場は、鎮守の森で囲まれたり、あるいは山上の、人間の共同体の外周部、外の世界との接点にしばしば置かれて来た。

ちなみにこれは、仏教寺院でもとくに重要な霊場・修行道場がそうだ。 
比叡山にせよ日光にせよ神聖な、カミ宿る山の全体が霊場であり、高野山や八葉の蓮華の形をした巨岩に本堂が建てられた石山寺もそうだし、長谷寺や清水寺も恐らくはそういう場で、この場合はかつ神聖な霊水の泉や川もある。、

ところが近現代の「神道」が作り上げられる(捏造される)課程で、明治政府はそうしたあまたの自然神信仰の社を廃絶させ、古事記などに記述があるような人格が特定されるカミガミの社に無理矢理併合させ、鎮守の森を伐採して農地として売り払わせているのだ。

鎮守の森を廃した明治政府の言い分は、「西洋の教会は森になんて囲まれていない」だったそうだ。なんだかあまりにバカバカしくて情けなくて、虚しくなって来る。

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